眠れない人のために「なんでもないや(RADWIMPS)」を自分なりに噛み砕く。~久しぶりに音楽を聴いて。~
こんにちは犬飼です。
今日はRADWIMPSの「なんでもないや」を、聴いている間、僕の頭の中ではどういう空想が巻き起こっているのかを書いていきたいと思います。
音楽を聴いている間、心地いいきもちになります。
何故音楽を聴いている間、心地いいのか。
それは音楽が、僕らの頭に何かしらの言葉や映像を送るからではないでしょうか。
曲が僕らの脳に、何かしら影響を与える。
今日は曲というのが僕の脳にどういう影響を与えているのか、どういう映像、イメージを伝えているのかを、
「なんでもないや」を聴いて、書いていきたいと思います。
それではいつものようにYOUTUBEにある動画の再生に合わせて、解説していきたいと思います。
今回も非公式動画です。
こういう映画に使われた曲などは、
どうしても曲を聴くとその映画のことが頭にちらついてしまうのですが、できるだけそのちらつきをさけて、
音楽だけでどういうイメージが頭に浮かんでいくのかを書いていきたいと思います。
それでははじめていきます。
「再生時間 0:00~0:02」
優しい声。
いきなり声からはじまります。
今まで解説してきた曲とは違いますね。
イントロがなく、いきなり声。
今までの曲はイントロから、その曲の下地、その曲における僕ら聴き手の立ち位置を探っていたのですが、この曲は曲が始まって急に声が来るので、ちょっと僕はたじろぎます。
まだ心の準備ができてない。
なので今までの曲の、イントロがあるありがたさが分かりますよね。
イントロは聴き手に対しての優しさ、礼儀。
ふたり(聴き手と歌い手)手を重ねる前の、あいさつ。
そのあいさつがないってことで、この曲のはじめ、僕はたじろぐ。
急に自分の部屋に入られたような。
でもその声は、優しい声ですよね。
あいさつがないけど、攻撃してくるわけではない。
今までの曲がイントロで下地、聴き手の立ち位置を定めると書きましたが、この曲は急になので、聴き手の僕らとしましても、そのまんまの状態です。
何も準備ができてない、部屋着のままで、歌い手側の訪問を受けます。
装っていない僕ら聴き手。
立ち位置が音楽を聴く前までの、素である僕ら聴き手。
今までの曲のイントロによっての変化がない僕ら聴き手。
僕ら聴き手は一つの音楽の物語の中で、どういうキャラとして動いていくのか、大抵の曲ではそのイントロで配役されます。
だけどこの曲は配役が与えられていない、演者になっていない状態で、曲がはじまってしまします。
そういう心の持ちようを、この曲の最初の数秒で、僕は感じました。
音楽の最初のところっておもしろいですよね。
音楽の数だけ、入り口の数がありますから。
この曲は今までの解説してきた曲とは入り口がだいぶ違っていたので、驚かされました。
それでは再生をすすめて、声を聴いていきましょう。
「再生時間 0:02~0:24」
素の状態で、声に直撃した僕ら聴き手は、
装い整える前に、その声に侵食されていきます。
それは攻撃ではなく、侵食。
聴き手の身体がその歌い手の声に呼応するように、柔らかくなっていきます、薄くなっていきます。
歌い手の声に侵食される。
歌い手の声に身を任せていく。
その声は僕ら聴き手を変えてやろうとか壊してやろうという感じではなく、僕らと声が融合することで、僕ら聴き手にひとつの筋道を提案するような。
それは決して強引ではない。
お互いに納得したうえで、声と聴き手は同調していく。
この声と僕ら聴き手が融合、同調していく感覚は、
水中に潜っている感覚に近い。
いつもの地上とは違う。
こんな風に水中に潜るだけで、いつもの自分とは離れる。
この曲の出だしのこの声は、こういう風に、
ゆらゆらと、ゆっくりゆっくりと、
僕ら聴き手を、いつものぼくらと乖離させていく。
すべての音楽は、音楽に共通した一つの性質を持っている。
それは僕ら聴き手を、現実から引き離すこと。
それはすべての音楽が持っている性質。
この曲も同様に、僕ら聴き手を現実から引き離していく。
僕らをどこに連れていくのか。
僕ら聴き手は、ただただ音楽に身を任せるしかない。
曲中の歌詞「さびしさを」で一度、声が僕ら聴き手に仕掛ける。
これに対して僕ら聴き手がどう反応するか、様子を見ている。
お互いの探り合い。
音楽は聴き手と歌い手、お互いの探り合い、化かし合い。
次の歌詞「透き通っていたり」が2度目の仕掛け。
徐々に仕掛けてくる。
それに呼応して、僕ら聴き手もその姿を徐々に見せる。
曲の始まりの頃の素のままの聴き手の姿ではもうない。
歌い手の声の、仕掛けに反応して、
僕ら聴き手も徐々に、その姿を変えていく。
この一つの物語の中で、一人の登場人物になっていく。
さあ、物語がはじまる。
「再生時間 0:25~0:34」
ここで間奏。
この間で、聴き手は整えていく。
曲がはじまって急に歌い手の声に手を引っ張られてきて、
その身なりは普段着だったのに、「再生時間 0:02~0:24」の間で誘われてその気になって、
この間奏の間に聴き手自身自ら、
どういった衣装で舞台に出ていこうか悩んでいる。
どういった服装でデートに行こうか悩んでいる。
パッシブではなくポジティブ。
僕らが決める。僕ら聴き手自身で、これからを決める。
この間奏の時間はそんな時間。
ああ、もうすぐカーテンが開く。
ああ、もうすぐ待ち合わせの時間だ。
「再生時間 0:34~1:23」
間奏が終わっても、歌い手の声は相変わらずだ。
ちょっとじれったい。
こっちはもう、準備できていたのに。
早く連れて行ってよ。早くはじめようよ。
周りの景色が鮮明になってくる。
背景に色をつけて、舞台を彩る(いろどる)。
歌詞「優しさの笑顔も」辺りからまた新たな仕掛けを感じる。
歌詞「君を全部真似たよ」辺りで、背中に寒気が。
次が来るのを、予感する。
次何か来るなと、聴き手は感じる。
そう予感させておいて、歌詞「もう少しだけ~」はちょっと肩透かし。
次に何か強いのが来るかと思っていたら、そこまで大きい進展はない。
どこか今までの上塗り。
「再生時間 1:23~終わりまで」
その上塗りの感覚。
進展がない、今までのに上乗せの感覚は、サビがはじまっても変わらない。
せっかく着替えたのに、どこか遠くの、見たこともないところへは、連れていかれていない。
せっかく衣装を着たのに、与えられた役は、ありきたりな役。
それに僕はちょっと透かされる。
結局”家”に、戻ってきたような。
結局普段着に戻るような。
曲のはじめで出会った声は、出会った頃と変わらず、相変わらずだ。
僕ら聴き手と歌い手は、出会ったときと同じように、
また身体を融合しあう、同調しまう。
それで何かを伝えあったり、何かを渡しあったりするわけではない。
ただその行為自体に、意味を持たせるように、僕は感じます。
言ってしまえば、この曲には物語はない。
物語の手前の、非日常の手前の日常の時間を、改めて見るような。
改めて今を、今ここを、体験するような、そんな気分に僕はなっています。
こういう曲って珍しいですよね。
とりあえず、今まで解説してきた曲にはなかった曲です。
はじまる前の曲。終わる前の曲。
物語が停止した物語。
サビを聴き終わっても、後味は悪くないです。
それよりもどこかすっきりしている。
どこかに連れていかれたわけでもないのに、
僕らの過去が洗われて、今が新鮮に見えるような気持に僕はなっています。
変わった曲ですね。
なんでもないや RADWIMPS
眠れない人のために「なんでもないや(RADWIMPS)」を自分なりに噛み砕く。
~久しぶりに音楽を聴いて~
終わり。
この曲を聴いた感想としては、
とても聴き終わった後がすっきりしました。
聴後感(読後感の聴バージョンの言葉)がいいです。
すごくすっきりします。
こういうアプローチの仕方もあるんですね。
ちょっと感心しました。
音楽って、どこかに連れていかれるパターンだけだと思っていたので。
じゃあ今日はこれで終わります。
おつかれさまでした<(_ _)>。