眠れない人のための相対性理論「スマトラ警備隊」をやわらか解説。~この曲はこんな感じで、僕は聴いてる。~

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こんにちは、こんばんは犬飼です。

今日は相対性理論さんの「スマトラ警備隊」を僕が聴いて、

その時僕の頭の中でどんな物語がうごめいているのかを書いていきたいと思います。

音楽を聴いているとき、僕の頭の中ではひとつの物語がうごめいていて、

それがとても気持ちいいし、それが音楽を聴くことの楽しみの一つだと思います。

音楽を聴いていると、頭の中ふわふわして気持ちいいです。

それでは今回も、YOUTUBEの再生時間に合わせて解説していきたいと思います。

みなさんもYOUTUBEの「スマトラ警備隊」(今回も非公式動画)を聴きながら、

僕の解説、僕の頭の中に流れる物語を見ていってください。

それでははじめます。

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「再生時間 0:00~」

 

指をからめる。

階段をおりる。

大きな穴。

大量の死体。

膨らんだ水風船がゆっくりと割れる。

水。

青が覆う(おおう)

 

最初のイントロがはじまりましたね。

バババッと何か割れるような、張り裂けるような。

はじまりはいつも突然。

気づいたら隣にいた人はいなくなっている。

割れて、避けて、青に染まる。

自分の足元には、もう動かなくなってしまった、”物体”がたくさん転がっている。

今日はどこに行こうか。

私には、足があるのだから。

どこに行こう。

できるだけ遠くに行って、そうしたら、私にまとわりついているものは、

どれだけ落ちてくれるのだろうかな。

純白じゃなく、どこまでも汚くなって汚くなって、汚くなって、

その先に行きたい。

さあ・・・。さあ・・・。

 

また私は目覚めた。病院で目覚めた。

いつもの天井。いつもの音、におい。

自分の下半身を確認する。

どうやらまだ、足はついているらしい。

それじゃあここから離れないと。さあ、行こう。

 

イントロがはじまって、バリバリと音がなって、

スマトラ警備隊」がはじまりましたね。(ここまでの文章何(笑))

相対性理論の曲は何曲か聴いたことがあるのですが、

どの曲も”距離感”がちょうどいい感じで好きです。

例えば今まで解説してきた宇多田ヒカル鬼束ちひろの曲は結構聴き手に近く、

それが長所でもあるのですが、それが重く感じることもあります。

それに対して相対性理論の曲は軽いです。

ポップポップしてますよね(笑)。

それが長所でもあり、まあ、短所といえば短所なんですが。

宇多田や鬼束の曲のように聴き手に近づいて、聴き手に優しく安心感を与えるのに対し、

相対性理論の曲はそれはしない。

ある意味オトナと言えばオトナだし、だけどそれでもちょっと軽薄感は否めない。

音楽に何を求めるのか。

君は音楽で何を掴むのか何を得たいのか。

今回の曲である「スマトラ警備隊」はそれをあまり与えない。

あくまで空気を作っているように、僕は感じます。

 

それでは再生時間0:10~以降を見ていきましょう。

 

「再生時間0:10~」

再生時間0:10までのダダダダッというイントロで、

聴き手の足元がある程度決められます。

と言ってもだいぶ面積が少ない、荒れた足場なんですが。

この少し心もとない足場から、この曲はスタートします。

再生時間0:10~以降、周りが少し見えてきましたね。

波うつことで、周りを知っていく。

ただそれでも、聴き手の足場は不安定。

このまま行くのか。少し怖いな。

夢と現実の往復。

聴き手の周りには何本もの、何百もの映像が流れては消え流れては消えています。

軽くフラッシュバック。寝バック、立ちバック。

気持ちよさどうこうよりも、その情報の多さに、少したじろぎます。

消化できない情報量。やっぱちょっと優しくない。

荒れた心にはちょうどいいかも。

ここら辺のイメージとしては、次元から次元にワープするときの映像って分かりますかね。

ドラえもんのタイムトンネルっていう例えでわかるかな。

ああいう空間にいて、これからワープするよっていう状態。

なので、今のこのトンネル内は、ちょっと無機質ですね。

 

それでは再生時間0:29~以降を見ていきましょうか。

 

「再生時間0:29~」

歌い手が歌い始めます。

心地いいのですが、その心地よさというのは、

宇多田とか鬼束ちひろとかの心地よさとは違う。

宇多田、鬼束の曲が聴き手の内部に入ってきて侵食するのに対して、

この曲では聴き手と歌い手側が平行移動しているような。

つまり心地いいの正体は、距離感があることの心地よさ。

すごく最近の若者的というか、傷つかない、関係性を持ちたくない。

私は私で歌うから、聴き手は勝手にして、みたいな。

そういう曲。そういう風に僕は感じる。

 

この一定の距離から、聴き手は歌い手を見つめる。

そうはいってもここは物語の世界(音楽というのは一つの物語)。

物語が続く限り、聴き手は歌い手を観察する。

歌い手は孤独なのか。

歌い手は何故歌うのか。

曲が終わるまで、聴き手と歌い手は踊り続ける。

 

聴き手と歌い手の周りには様々なものが飛び交う。

それは歌詞に出てくるような、ランダムな、無秩序なもの。

恐竜。破壊される街、サイキック。更新世

どれもあまり、意味をなさない。

それよりも聴き手はやはり、その歌い手の距離感が気になる。

距離がある。だけど離れはしない。また近づこうともしない。

遊園地のコーヒーカップみたいに僕たちは回り続ける。

周りの景色は歪んでいく。

 

再生時間0:48~に続きます。

 

「再生時間0:48~」

メロディが変わっても聴き手歌い手距離感は変わらず。

だけど周りの景色が騒がしい。

ただ騒がしいといっても、あまりその実体はつかめない。

コーヒーカップに乗った僕らは、君以外は止まって見えて、

それ以外はどんどんぐにゃぐにゃとねじ曲がっていくから。

僕ら以外の世界は終わっているかもしれない。

僕らだけ違う世界に来てしまったのかもしれない。

どうでもいい、君がいれば。

気持ち悪さと気持ちよさとは紙一重

コインの表と裏。

それがどっちに転がっても、コインはコイン。僕らは僕ら。

 

やがて僕らも、分解しだす。

僕らの形、僕らを形作るもの、僕らの身体がバラバラになっていく。

いる?いらないか。

といっても、君と僕とに何か関係性があるといったら、それは”””無いだろう”””。

ここがポイントです。

周りが見えなくなって、聴き手と歌い手二人の状況でも、

二人の関係性は無いに等しい。

(笑)。

劇場版エヴァかな(笑)。

この状況は、どうなんだろう・・・。

気持ちいいのか、気持ち悪いのか。

歌い手は聴き手にとっては、ただの”記号”。

それは曲がはじまって変わっていないけど、いざこのあたりになって、

それが鮮明になる。それが理解できる。

周りはもう、無い。周りはもうぐちゃぐちゃだ。

巻き込んだのか、巻き込まれたのか。

もう、分からないし、疲れたし、どうでもいいか・・・。

 

相対性理論   スマトラ警備隊

 

眠れない人のための相対性理論スマトラ警備隊」をやわらか解説。

~この曲はこんな感じで、僕は聴いてる。~

 

おわり。

 

 

今回はだいぶアレな感じですね(笑)。

まあ、シンプルな曲といえばそうなんですけど。

やっぱ歌声との距離感が、一番きになりました。

 

それでは終わります。

おつかれさまでした<(_ _)>。