眠れない人のための「TRAIN TRAIN (ブルーハーツ)」徹底解析。~もう一度、もう一度だけ、あのお姫様に会いたくて。~
はいこんにちは、犬飼です。
今日も音楽解析をやっていきたいと思います。
音楽解析とは何か、まずはそれについて説明していきます。
音楽って何ですか。
音楽って何なのだろう。
音楽を聴いている時、音楽に心癒されている時、常に僕はそのことばっかり考えています。
音楽を聴いている時の、そんな自分の「心の揺れ具合」が僕は好きです。
音楽を聴く過程で、音楽について考える。
音楽の中で、音楽のことを考える。
音楽を聴いていると、僕は自分の心が「フワッと」しているように感じられる。
音楽を聴いて音楽のことを考えていると、僕は色々なことを忘れることが出来る。
音楽を聴いている間、僕の心は音楽に委託(いたく)されている。
僕は毎日疲れている。
僕は毎日、自分がどこに向かっているのか分からなくなる。
僕は毎日、「居場所」を探し続けている。
音楽を聴いていると、「不思議な気持ち」に僕はなっていく。
音楽を聴いていると僕は僕を忘れて、音楽という壮大な物語に圧倒されていく。
ひどく疲れた心を持った僕は、音楽を聴く過程で「感情」を取り戻していく。
(※「感情」を取り戻す=物事に対して素直に嬉しさや悲しさをぶつけることが出来るようになる。)
音楽は疲れた僕に休める機会を、眠る機会を、静かに与えていく。
様々な色合いや様々な明るさを持ってして、
音楽は僕たちの心を攻略していく。
音楽を聴く過程で僕たちは、既存の「自分たちの心模様」を壊されていく。
音楽を聴く過程で進行していく、僕たちの心の一部分の「喪失」、
その「喪失」の様子を見つめていくことを僕は音楽(心理)解析と呼んでいます。
誰しもが「名前」を持っていて。
誰しもが「名付け親」がいて。
音楽は僕たちにもう一度、僕たちの「名前」を問いてくる。
音楽を聴く過程で僕たちは、自分の「名前」をもう一度見つめていく。
音楽を聴く過程で僕たちは、自分の「名前」をもう一度愛そうと試みていく。
音楽を聴いていると僕たちの心の一部は「喪失」し、そして「名前」を探し求める。
そんな僕たちの心の「修復」の様子を見つめていくのも、音楽(心理)解析です。
そんな音楽解析を今夜もやっていきたいと思います。
よろしくお願いします<(_ _)>
今夜解析していくのはブルーハーツの「TRAIN TRAIN」という曲です。
いつものようにYOUTUBEにある動画を使って解説していきます。
(今回使っていく動画は非公式のものです。)
動画の再生時間に合わせてその時僕が感じたことや思ったことを述べていきます。
それでははじめていきます。
『再生時間0:00~0:00』
曲を聴く前、動画を再生する前の、音楽と僕たちとの関係性についての簡易説明。
音楽の前で正座をする時間帯。
今夜も僕たちは音楽を聴くことで、「夢」に堕(お)ちていく。
楽しい夢を、見れたらいいね。
夢の中で気持ちよく、眠れたらいいよね。
えへへ。
うふふ。
以下この時間帯の詳しい解説
もうすぐ曲が始まっていく。
もうすぐ音楽が始まっていく。
僕たちは今夜も音楽を聴く過程で、自分たちがこの世界の中で「ONLY(オンリー)」であることが許されていく。
「独りぼっち」を強く意識してしまう現代の世の中において、
音楽は僕たちに対して、「生きる理由」を注ぎ続ける。
(君がそこにいる理由、信じて。)
音楽を聴くことで僕たちは、「ヒーロー性、ヒロイン性」を与えられていく。
音楽を聴く過程で僕たちはみな、存在を肯定されていく。
音楽を聴く過程で僕たちはみな、「ONLY(オンリー)」であることを心に刻んでいく。
音楽は僕たちを守り続ける。
音楽は僕たちに「物語」、「血の物語」を与え続ける。
(※「血の物語」=血で繋がれた物語。音楽を聴くことで僕たちは、自分たちの身体を強く意識していく。身体から物語は始まっていく。血から物語は生まれ出る。)
音楽の中では誰もが勇者で。
音楽の中では誰もがお姫様で。
音楽を聴くことで僕たちは、一種の「夢」を見ていく。
僕たちは今の自分を忘れ、もう一度自分自身とは何なのかを曲を聴く過程で探そうとしていく。
動画の再生ボタンを押して曲を聴き始めよう。
今夜も君は、剣を持ち。
今夜も君は、きらびやかなドレスを身にまとい。
いづれの君も、その瞳はとても勇敢(ゆうかん)に燃え上がってた。
『再生時間0:00~0:44』
再生時間0:00秒から0:44秒までを聴いて、僕の心が映し出すもの。
曲が始まり、僕たちは記憶を消していく。
曲が始まり、僕たちは記憶を捨てていく。
「心をもう一度灯(とも)す物語」、「名をもう一度思い出す物語」が、
今ここから始まっていく。
以下この時間帯の詳しい解説
眠れない音楽が始まっていく。
眠ることを笑う不届(ふとど)きな音楽が始まっていく。
僕たち臆病者(おくびょうもの)は否応(いやおう)なしに、音楽に「存在」を潰(つぶ)されていく。
音楽を聴くことで僕たちは、目の前が真っ暗になっていく。
何も見えないこの場所で、心を(音楽に)奪われたこの時から、
音楽の物語、もしくは僕たち自身のもう一つの物語が始まっていく。
デリートが音楽の開始の合図。
喪失ゆえに、僕たちは「生きること」を音楽を聴く過程で再開していく。
曲が始まり、僕たちの頭の中は一度真っ白になっていく。
世の中や社会で生きていくには、頭の中に何か常識とか規範とか風潮などを入れていかないといけない。
その頭への「IN」の流れを、音楽は止めていく。
音楽を聴くことで僕たちは一度「情報」を遮断(しゃだん)して、
音楽の世界に降り続ける『真っ白な雪』を見続けていく。
音楽の世界に降る「真っ白な雪」が、僕たちの頭の中とリンクしていく。
僕たちは頭の中の記憶を「喪失」させていく。
僕たちは心の中の想いを「整理」していく。
曲の続きを聴いていこう。
僕たちはまだ、自分たちの「名前」を知らなかった。
「名前を探す物語」が、ここから始まっていく。
「名前を探す旅」が、ここから始まっていく。
楽しい旅に、なればいいね。
音楽は僕たちの心をゆっくりゆっくりと、灯(とも)していくのであった。
『再生時間0:44~1:14』
再生時間0:44秒から1:14秒までを聴いて、僕の心が映し出すもの。
僕たちの心は曲に染まっていく。
曲に心染まることで、僕たちは心の重荷を降ろしていく。
曲の激流に飲み込まれていくことで僕たちは、
自分が「名」を授かったその時を蘇(よみがえ)らせていくのであった。
赤ん坊の時の僕たちは泣くことで、自分の名前にぶら下がり続けていた。
おんぎゃ~、おんぎゃ~。
以下この時間帯の詳しい解説
僕たちは曲に抱かれ続ける。
僕たちは音楽を「模倣(もほう)」し続ける。
(※音楽がYESと言えば僕たちもYESと想っていく。ボーカルの歌声の意志が、僕たちの心に伝播(でんぱ)していく。)
誰かに認められるとは、誰かの「温かさ」を知ること。
誰かを信じるということは、誰かの「冷たさ」を愛するということ。
曲を聴く過程で僕たちは、様々な場所を冒険していく。
曲を聴く過程で僕たちの心は、ボーカルの歌声を通じて様々な人の想いを鑑賞していく。
ボーカルの歌声につられて僕たちは、走馬燈(そうまとう)のように頭の中に色々な「時」を駆け巡っていく。
その「時」の中に様々な人や、様々な想いがあって。
その人々やその人々の想いは、すべて「時」が処理していく。
僕たちは大いなる「時」の中で、ただただ漂(ただよ)い続けている。
僕たちはその「無限とも思える時」の中で、足跡を残す余裕がない。
「時」の中では僕たちは、「言葉」も「意志」も失っていく。
曲は僕たちを「激流」にいれ続ける。
僕たちはあれほど求めていた「存在」を曲を聴く過程で捨てることで、
不思議にも「生きる勇気」が少しずつ湧いてくる。
「生きる意志」を捨てて、「生きる意志」をボーカルの歌声に託すことで、
僕たちは気を楽にしていく。
曲を聴く過程で僕たちは、自分の心への負担を減らしていく。
僕たちは心を軽くしていく。
僕たちは重荷を下ろしていく。
僕たちは僕たちたらしめていたものを、曲を聴く過程で捨てていく。
「涙」で意志を消していく。
「弱音(よわね)」で心を洗(あら)っていく。
曲を聴く過程で僕たちは、幼き頃の自分に出会っていく。
立つことも喋ることもままならない幼き頃の僕たち。
幼き頃の僕たちはただただ、『泣くこと』しか出来ない。
幼き頃の僕たちはいつまでもいつまでも、親を頼り続けていた。
幼き頃の僕たちは生きるということを考えることも出来ず、
ただただ生かされ続けていた。
親である存在は幼き僕たちに、僕たちの『名前』を呼び続けていた。
曲の続きを聴いていこう。
曲を聴く過程で僕たちは、過去と現在を往復し続ける。
過去は僕たちに、「生きるヒント」を与え続けていた。
過去は僕たちに、僕たちの「名前」を授(さず)け続けていた。
『再生時間1:14~曲の終わりまで』
再生時間1:14秒から曲の終わりまでを聴いて、僕の心が映し出すもの。
曲の甘い蜜(みつ)を吸いつくした順に、僕たちは曲を聴くのを止めていく。
曲を聴く前の自分と曲を聴いた後の自分。
その違いはあるのだろうか。
虚脱感(きょだつかん)に襲われながら僕はひとり、射精し続けていた。
これで解析は終了する。
これで音楽は終了する。
以下この時間帯の詳しい解説
だいぶ遅くなったけど、いつものようにボーカルの歌声を分析していく。
今回の曲のボーカルの歌声は、宇多田ヒカルタイプの歌声か鬼束ちひろタイプの歌声かと言ったら、う~ん、まあどちらかというと鬼束ちひろタイプの歌声かなあ。
まあまあ宇多田ヒカル要素も含んでいる歌声。
僕たち聴き手に対して、「初々(ういうい)しい光」をある程度浴びせていく歌声。
僕たち聴き手に対して、「明るい未来」をある程度信じさせていく歌声。
だけどどっちかというと、鬼束ちひろ要素の方が強い歌声。
「死にゆく人」を労(いた)わる歌声。
「生きることに疲れた人」に、花束を捧げていく歌声。
聴く人を元気づける歌声というよりも、同情していく歌声。
聴く人を厳しく叱るよりも、甘やかしていく歌声。
彼の歌声を聴くことで僕たちは、自分たちの心をぬるま湯に浸からせていく。
彼の歌声に染まることで僕たちは、「赤い花」よりも「青い花」を愛(め)でていく。
彼の歌声を聴いていく過程で僕たちは、誰もが美しいという花よりも、あまり見向きされない花を愛でていく。
日の当たっていない場所に「愛情」を注いでいく歌声、誰も見てない所で倒れている人を看病(かんびょう)していくような歌声、ボーカルの歌声をそのような歌声のように僕は感じました。
そんな歌声が織りなす曲と、僕たちはここから離れていく。
音楽と僕たち聴き手は、かなり一方的な関係性。
音楽はいわば「仮宿」。
心が十分に休まった順に、僕たちは曲から離れていく。
心がある程度満たされた順に、僕たちは曲を聴くのを止めていく。
僕たちがもう一度自分たちの心に塗りたい色(カラー)を塗っていこうと決意した順に、僕たちは曲を聴くのを止めていく。
曲を聴くのを止めてから、僕たちの本当の「生きる」が始まっていく。
喪失の物語が終わり、獲得の物語が始まっていく。
僕たちは音楽の中では、生きることは出来ない。
僕たちは音楽を聴く過程で、ただただ生きるために必要な素材を集めていた。
その素材自体は特に特徴もない。
その素材自体は何の輝きも放っていない、何の美しさも感じない。
ただその生きるために必要な素材というのは何の特徴もない故に、僕たちを「明日」へと導くことが出来た。
この曲を聴く前は生きるのをほぼ止めていた僕たちは、
この曲の中で自分自身の『うぶな名前』と対面することで、
自分たちの心に「青い勇気」を注いでいた。
倒れても倒れても君は、自分に対して自分の「名前」を呼び続けていた。
TRAIN TRAIN
THE BLUE HEARTS
眠れない人のための「TRAIN TRAIN (ブルーハーツ)」徹底解析。
~もう一度、もう一度だけ、あのお姫様に会いたくて。~
音楽解析終了。
後書き。
何か前半は上手く書けているなあと思ったけど、
後半ちょっとグダッたかなあ・・・。
また土日に読み直して、冷静になって文章修正したいと思う。
1月20日。
読み直して文章修正。
いいね。
グッド。