眠れない人のための「SAKURAドロップス (宇多田ヒカル)」徹底解析。~知らないからこそ、知りたいんだろう。分からないからこそ、分かりたいんだろう。~

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宇多田ヒカル - SAKURAドロップス

 

 

はいこんにちは、犬飼です。

 

今日も音楽解析をやっていきたいと思います。

 

音楽解析とは何か、まずはそれについて説明していきます。

 

 

 

「不思議だ」、と思う気持ちは不思議です。(は?)

 

「不思議だね」と思う気持ちは、とても貴重な想いです。

(きちょー、きちょうー)

 

 

分からない、分かれない。

 

知らなかった、知りたいな。

 

 

いつもとは違く感覚・想いを、僕たちは常にとても欲(ほっ)している。

(ほし~、ほし~) 

 

今の日常を特別なものにするために、今自分が生きている時間を肯定(こうてい)するために、

僕たちは生きる中で日常の中で、「不思議な体験」「特別な時間」を求め続けている。

 

 

僕たちは欲しがりで。

 

僕たちは欲深く。

 

 

止まることのない時間の中で、止まらない時間を僕たちは止めたいと思っている。

 

流れゆく・移ろいゆく・消費されてゆく時間の中で、

僕たちの心は震え、彷徨(さまよ)い続けている。

 

 

『絵(ピクチャー)』を、僕たちは探している。

 

うごめいていく時間の中で絵になる時間・絵になる体験(=特別な体験)を、

僕たちは求め続けている。

 

 

その時間・その体験を得るためには、様々な要素・様々な素材・様々な条件が必要で。

 

「美しいもの」が必要なのか、はたまた「美しくないもの」が必要なのか。

 

「輝(かがや)くもの」が必要なのか、はたまた「醜(みにく)いもの」が必要なのか。

 

 

それぞれがそれぞれにとって「大切だ」と言えるものを限られた時間の中で選び出し、自分が自分にとって『特別な』存在であることを、僕たちは何度も確認していく。

 

 

時にそれは愚かでも。

 

時にそれは汚らわしくても。

 

 

必死さが、僕たちの周りに常にまとわりつく。

 

「あがくこと」が、君の不安定な精神を安定させていく。

 

 

僕たちは常に、『見えないもの』と格闘(かくとう)している。

 

僕たちは常に、『不確かなもの』を確かなものにしようと奮闘(ふんとう)している。

 

 

そして音楽とは。

 

そんな頑張りすぎな僕たちにとって、音楽とは何だ・音楽とはどういう役割を担っているのか。

 

 

音楽というものは、常に僕たちを「見つめ続ける」。

 

音楽というものは、常に僕たちを「眺め続ける」。

 

 

音楽はいい兄貴分。

 

音楽は永遠のスナフキン

 

音楽は子供の僕たちも、そして大人になった僕たちも均等に・同じ目線で見続ける。

 

 

変わっていく僕たちがいるなかで、音楽は変わらずあり続ける。

 

移ろいゆく僕たちがいるなかで、音楽は同じ視点で僕たちを描写し続ける。

 

 

ひどく冷酷(れいこく)で、ひどくドライ。

 

ゆえに優しく、ゆえにそこに極上の「愛」を、僕たちは音楽に感じてしまう。

 

 

友というか、親というか、初恋者というか。

 

そのどれとも違う。

 

しかしそのどの性質も宿しながら、音楽は変わらない一定の距離を保って、僕たちと共にあり続ける。

 

 

僕たちは音楽を聴くことで、「笑う」。

 

僕たちは音楽を聴くことで、悲しみを重ね苦しみを昇華させることで笑い、そして安堵(あんど)してゆく。

 

 

「感情」を全支配されながら、音楽を聴く間僕たちは音楽と共にある。

 

「心」を音楽に縛られることで僕たちは、生きる栄養を音楽という大樹の中で注がれていく。

 

 

誰にも見られたくない、誰にも知られたくない「戒律破りな行為」を、

僕たちは音楽を聴く過程で行っていく。

 

誰かに罰さられようとも、誰かに咎(とが)められようとも、

僕たちは音楽を聴くことを望んでいく。

 

そこに、君がいるから。

 

そこに、君の存在を確定させる何かがありそうだから。

 

 

僕たちは今夜も、音楽を聴いていく。

 

そんな音楽解析(どんな音楽解析?)を、今夜もやっていきたいと思います。

 

音楽を聴く過程で僕たちが何を想い何を感じ取っているのか、

音楽と僕たちの心とのシナジー(共同作用)の様子を見つめていく、

そんな音楽解析を今夜も楽しくやっていきたいと思います。

 

 

今夜解析していくのは宇多田ヒカルさんの「SAKURAドロップス」という曲です。

 

いつものようにYOUTUBEにある動画を使って解説していきます。

 

動画の再生時間に応じて、その時間帯ごとに僕が曲から感じ取ったものを述べていきます。

 

それでははじめていきます。

 


宇多田ヒカル - SAKURAドロップス

 

 

『再生時間0:00~0:00』

 

プロローグ。

 

曲を聴く前、動画を再生する前の時間帯。

 

死んでいた人が目を覚まし、蜘蛛(くも)の糸を見つける時間帯。

(おもしろい表現( ^ω^)・・・)

 

心を空(から)にさせながら、僕たちは音楽を聴く心の準備をしていく。

 

音楽を聴く間だけ、自分を留守(るす)に、してもいいよね。

 

以下この時間帯の詳しい解説

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もうすぐ曲が始まっていく。

 

もうすぐ音楽が始まっていく。

 

 

まだ始まっていない。

 

まだこの時間帯、曲を聴く前のこの時間帯は、僕たちは拾(ひろ)われていない。

(にゃー)

 

 

まだ僕たちは「属(ぞく)して」いない。

 

まだ僕たちは、移住(いじゅう)していない。

 

 

今までいた場所から望む場所に、僕たちは移動していく。

 

時間がない場所から時間がありそうな場所に、僕たちは移動していく。

 

 

僕たちは今夜も、音楽に出会う。

 

僕たちは今夜も、音楽の中で「数式・方程式」を解いていく。

(音楽を聴くことは、ひどく理系的行為。)

 

 

数字・数学にまみれることで僕たちは、自分を安心させていく。

 

方程式、「解」に辿り着ける手順を目の当たりにすることで僕たちは、

自分たちの心をそれに倣(なら)わしていく。

 (ウホウホ)

 

 

僕たちの心は、ひどく数学的で。

 

パズルを解くように、欠けたピースを埋め込むように、僕たちは音楽を聴いていく。

 

 

音楽というのは、ひどく「ずるい」ものだと、僕は思う。

 

何故ならそこに、正確な答えはないから。

 

何故ならそこに、決まりきったゴールはないから。

 

 

音楽は僕たちを、不確かなところから不確かなところへと移動させていく。

 

それで僕たちは満足してしまう。

 

それで僕たちは腑(ふ)に落ちてしまう。

 

それで僕たちは、ある程度「式」を解いた気持ちになってしまう。

 

 

僕たちの「心」が関わる事案(じあん)って、ほんと厄介(やっかい)だ。

 

僕たちの「心」が求めるものって、ひどく曖昧(あいまい)だ。

 

 

特に「希望」なく、僕たちは音楽を聴いていく。

 

特に「望むこと」がなく、僕たちは音楽に流されていく。

 

 

今夜も幕が開ける・今夜も扉(とびら)が開く。

 

心に清涼飲料水を強制的に流し込みながら、僕たちは音楽を聴いていく。

(ゲボゲボ) 

 

心にそよ風を無理やり押し込みながら、僕たちは音楽を聴いていく。

 (ゴホゴホ)

 

 

動画の再生ボタンを押して、曲を聴き始めよう。

 

はあ、おばあちゃん、僕はおじいちゃんじゃないよ(ため息)・・・。

 

 

 

『再生時間0:00~1:00』

 

再生時間0:00秒から1:00秒までの曲を聴いて、僕が曲から感じ取ったもの。

 

僕たちははじめからは、分かれない。

 

曲と僕たちとの最初の接触の場面では、その曲がどういうものか・その曲が何を内包しているのか、まだ僕たちは知らない。

 

知らないからこそ僕たちはこの曲との初対面の時間帯は、

自分を崩していく・自身を解体していく。

 

自分を見失わせることで・自分を喪失させることで僕たちは、

何とか曲の中での第一歩を踏み出すことが出来ていった。

 

「白色(ホワイト)」はやはり、こわいよね。

 

「生まれ出す」ことは、苦しいよね。

 

「revive」はひどく、痛みを伴(ともな)うよね。

 

こわい、こわい・・・。

 

以下この時間帯の詳しい解説

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『言葉の名前』を、まだ僕たちは知らない。

(ことばのなまえ?) 

 

言葉の名前を知らないのだから当然、空が蒼(あお)い理由も説明出来ない。

 (ことばのなまえ?そらがあおいりゆう?)

 

 

宇多田ヒカルという人は、根源的。

 

多くの人が美しい花を見てその花の美しさを誉(ほ)めるのに対して、

宇多田ヒカルはその花の「根」を讃(たた)える。

 

だから支持される。

 

だから好かれている。

 

 

宇多田ヒカルの曲を聴くと僕は、言葉が詰まる。

 

何故なら上手く説明できないから(>_<)。

 

何かその歌声は広すぎる、何かその歌声は壮大すぎる。

 

 

曲の始まりの時間帯(=曲と僕たちの初接触の時間帯)は一般的に、

僕たち聴き手の「慣れ」の時間帯。

 

僕たちは大体この時間帯の間で、この曲に慣れていく。

 

曲の「言語」を理解するために、僕たちはまず自分たちの『身体(=手とか足とか胴体とか身体的なもの)』を、この曲に慣れさせていく。

 (音楽というのは物理的に、「揺れ・振動」に過ぎない。)

 

 

身体から僕たちは、音楽というものを理解していく。

 

身体から僕たちは、音楽というものを紐解(ひもと)いていく。

 

みずからの身体を使って僕たちは、見えない・掴(つか)めない・触れられない音楽を掘り下げていく。

 

 

赤ん坊が母に抱かれるように、僕たちは曲に身体を重ねていく。

(ぎゅっ)

 

大人性を失って、人間性を失って、これまで培(つちか)った言語・常識を捨て去って、

僕たちは音楽の中に溶け込んでいく・自己を音楽の中に流し込んでいく。

 

 

何もいらなくて。

 

むしろ邪魔で。

 

 

「ただの器(うつわ)」となって僕たちは、音楽という「液」を流し込んでいく。

 

「自分」を捨てて、「自我」を消して、「自己」を殺(あや)めて、

僕たちは音楽を信用していく。

 

 

曲の続きを聴いていこう。

 

何も分からない状態って、凄(すご)くない?

 

どうよ、どうよ、今の君の精神状態って、どうよ~? 

 

アホ・馬鹿・幼稚になって、膨大な数式と・難解とも見える式と向かい合っていこう。

 

その「数式」の意味さえ知らずに。

 

「解」の愚かさ・素晴らしささえ分からずに。

 

ひどく壊れながら僕たちは、自分を崩していく。

(秘儀!、松葉崩し~) 

 

これまでの自分を傾(かたむ)けて、これまでの自分をばらけさせて。

 

 

はじまりは、それからで。

 

何も無い、からしか、僕たちは僕たちを創れない・語れない。

 

 

 

『再生時間1:00~1:23』

 

再生時間1:00秒から1:23秒までの曲を聴いて、僕が曲から感じ取ったもの。

 

少しずつ少しずつ、僕たちは変わっていく・変色していく。

(お、カメレオンか?)

 

波打つことで、心に微(かす)かな「揺らぎ」に気づいていくこで僕たちは、

自分たちの心に小さな「灯かり」を灯(とも)していった。

 

それは「勇気」と呼ぶものなのか。

 

もしくはただの、「恐れ」の変異体なのか。

 

もっ、物語は、つっ、つづくのだ!

 

なっ、なのだっ!

 

以下この時間帯の詳しい解説

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音楽を聴いていると不思議と、「吸う空気の味」が変わっていく。

(すーはー、すーはー、すうぅ~~はああ~~、すうぅ~~はあぁ~~)

 

曲を聴く前よりも僕たちは深く呼吸をしながら、ゆっくりとゆっくりと地に足をつけていく。

 

 

曲の中で僕たちはゆっくりと、自分を「成長」させていく・転生させていく。

 

曲を聴く過程で僕たちは、自分自身に「清らかな水」を注いでいく。

 

 

まずは「呼吸」から。

 

まずは「呼吸」から、変えていく・変わっていく。

 

 

「呼吸」から僕たちは、変化していく。

 

先程とは違う空気を吸うことで、僕たちは徐々に心を落ち着かせていく・この曲に馴染んでいく。

 

 

曲に僕たちは、染まっていく。

 

曲の色(カラー)に僕たちは、慣れていく。

 

曲の色(カラー)に、心溺(おぼ)れさせていく。

 

 

「曲の国」の中で僕たちは生まれ、そして成長していく。

精子→胎児→赤ん坊→子ども→少年少女)

 

この曲の中の空気を、僕たちは「常識・知識・当たり前と」していく。

 

 

僕たちはいわば、『曲の国の戦士』となっていく。

(曲の国の戦士=曲の国の守りびと。) 

 

大切なこの曲を守るために。

 

僕たちを守るこの曲を愛するために。

 

僕たちの心の一部はこの曲が壊れないように、曲の内側からこの曲のために尽くしていく。

 

 

「自我」を放棄して。

 

「自分」を見失わせて。

 

僕たちの役割はただただ守りびとで。

 

彷徨(さまよ)いながらひどく迷いながら「生きる意味・理由」を探していた曲を聴く前の僕たちと違って、

この曲の中では僕たちは守りびとというシンプルなロール(役割)を曲から与えられる。

 

 

ただそれだけに君は存在し。

 

ただそれだけが君を君たらしめ・君の輪郭を露(あら)わにして。

 

 

曲の内側に創られた「僕たち」が、曲の外にある元々の僕たちを攻め立てる。

(おりゃあ~~)

 

音楽を聴く過程で僕たちは、「小人(こびと)」となった自分の精神同士を戦わせている。

 

 

どっちの自分が強いのだろう。

 

どっちの自分が勝って、どっちの自分が滅(ほろ)ぶのだろう。

 

 

創造と喪失は同時に行われ。

 

どちらも同じ理由で「名」が与えられているわずのに。

 

どちらも同じ「君」なのに。

 

 

曲を聴く過程で僕たちは、心を矛盾させている。

 

曲を聴くことで僕たちは、自分たちの心をろ過(か)させている。

 

 

曲の続きを聴いていこう。

 

あうあう、あうあう。

 

あうあうあ~。

 

ヒトを捨ててただただ性(さが)だけの塊(かたまり)に僕たちはなっていき。

 

そして大地を歩いていこう。

 

そして「物語」に、自分を組み込んでいこう。

 

「楽しさ」を、忘れないで。

 

「他者との肌の擦(す)れ合い・擦(す)り合い」に、君の存在を乗せていって。

 

そうでなければ、君じゃないでしょ。

 

 

 

『再生時間1:23~1:46』

 

再生時間1:23秒から1:46秒までの曲を聴いて、僕が曲から感じ取ったもの。

 

眩(まぶ)しいわ・・・。

 

・・・。

 

曲を聴く過程で僕たちは、曲から「明暗(めいあん)」を感じていく。

(明るさと暗さ。光と闇。) 

 

物事を感じ取る、の基本(=根底にあるもの)は「明と暗」で。

 

色(カラー)よりも僕たちは、「明るさと暗さ」から物事を感じ取っていく。

 

「光と暗闇」に左右されながら僕たちは、どう生きていくかを決めていく。

 

「光と暗闇」に翻弄(ほんろう)されながら僕たちは、

自分たちのこれから(未来)を決めていく。

 

眩(まぶ)しいわ・・・。

 

・・・。

 

以下この時間帯の詳しい解説

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生きるというのは年齢を重ねるにつれ、どんどん「不利(ふり)」になっていく。

 

1年前の君は、今の君に戦いを挑(いど)み続ける。

 

1年前の君は、今現在の君を強襲し続ける。

 

2年前の君も、3年前の君も、それ以前の君も同じく、君を襲い続ける。

 

 

「今の君」が戦う相手は、年を重ねるごとに増え続ける。

 

年齢を重ねるにつれ、自分を「否定」する可能性がある相手が増えていく。

 

大人になるにつれ僕たちは、自分を強く「肯定」するのが難しくなっていく。

 

 

今の君は、ひどく「孤独」。

 

過去の君は束(たば)となって、今の君を襲(おそ)っていく。

 

今の君はたった一人で、その猛攻撃(もうこうげき)を耐(た)えなければいけない。

 

常に一定の「攻撃力」を持った安定した「過去たち」は、今の僕たちを殴り続ける。

 

 

ふ~ん、大変じゃ~ん。

 

ふ~ん・・・。

 

・・・。

 

疲れた僕たちは、居場所を失くす。

 

疲れた僕たちは明るい場所を避け、自分たちの「心の影」に隠れていく。

(ここら辺の表現、おもしろいなあ~)

 

「自らの否定」で僕たちは、自身を安心させていく。

 

自傷」することで僕たちは、自身を安堵(あんど)させていく。

 

 

自分を傷つけて、僕たちは「繋がっていく」。←ここポイント

 

何かもう、自分に疲れたから、疲れることで自分を放棄(ほうき)して、

そして僕たちは「虚(うつ)ろな・曖昧(あいまい)な・不誠実なところ」で繋がっていく・繋がり合っていく。

(さて、誰と繋がり合っていくのでしょうか?)

 

 

地に堕(お)ちる。

 

底辺中の底辺で、地上を眺め続ける。

 

ここは落ち着く。

 

自分の仮面を外したら、自分の顔は『カオナシ』で。

 

 

何もいらない気持ちがとても楽。

 

何者でもない自分がとても楽。

 

「光(ひかり)」を求めないことが、自分落ち着かせていく。

 

 

フフフ・・・。

 

フハハハハ・・。

 

・・・。

 

 

宇多田ヒカルという人は、やはり鬼束ちひろとは対照的。

 

宇多田ヒカルの曲を聴くと、僕の「器(うつわ)」は割(わ)れていく。

(パリンッ) 

 

僕はまた、新しい器を生み出さないといけない。

 

悲観的になりながら、器の破片を拾いながら僕はゆっくりと、立ち上がろうとしていった。

 

別に「光の強さ」なんて、いらないんですけどっ!

 

 

曲の続きを聴いていこう。

 

「光と暗闇」を上手く配合しながら、僕たちは生きていく。

 

時に「光」を舐めながら、時に「暗闇」に狂いながら、僕たちは自我を安定させていく。

 

もうすぐ曲はサビに到達する。

 

曲の潮(しお)が最も満ちるその時に、僕たちは「射精」しながら、心に折り合いをつけていくのであった。

 

はあ(クソデカため息)・・・。

 

 

 

 

『再生時間1:46~曲の終わりまで』

 

再生時間1:46秒から曲の終わりまでを聴いて、僕が曲から感じ取ったもの。

 

曲はサビを迎え、一応の「終わり」を演出する。

(あくまで、一応の)

 

僕たちはサビで一応達(たっ)して、その精通に満足した順に、曲を聴くのを止めていく。

 

まだ物足りない人は、曲の続きを聴いたり、もう一度はじめから曲を聴き直したりする。

 

濡(ぬ)れるまで、濡れて。

 

濡れ終わるまで、満たされてor奪われて。

 

こども、だね・・・。

 

これで解析は終了する。

 

これで音楽は終了する。

 

以下この時間帯の詳しい解説

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あそこの扉(とびら)はもう、開けないのですか?

 

扉の鍵(カギ)は持っているのに。

 

扉を開くことが出来る鍵(キー)は、持っているのに。

 

 

年齢を重ねるにつれ僕たちは、心に膨大な扉(とびら)を所有していく。

 

ただその無数の扉の中で、日常的に使うのは数枚だけだ。

 

 

年齢を重ねるにつれ、使わない扉が増えていく。

 

大人になるにつれ、開(あ)かない扉が増えていく。

 

 

もうどの鍵(カギ)が、どの扉に対応しているか分からない。

 

地面には無数の鍵(カギ)が落ちてあり、そのほとんどがもう拾うことすらこの先無いだろう。

 

 

捨てたいのに捨てれない。

 

過去の扉は、君を笑い続け。

 

過去の扉は、君を殴(なぐ)り続け。

 

 

悲しいかな僕は「光の音楽」を聴くことで、自分の「心の暗さ」を再確認してしまう。

 

「光が持つ強さ」に負けて僕は、惨めな気持ちになっていく。

 

 

何かすげー、恥ずかしいんですけど・・・。

 

何か僕がすごく、幼稚(ようち)に見えてしまうんですけど・・・。

(まあ、すごく幼稚なんですけど・・・。)

 

・・・。

 

恥ずかしい・・・。

 

「光の音楽」は、僕を丸裸(まるはだか)にしていく。

 

「暗闇」に逃がしてくれる鬼束ちひろの曲とは違い、宇多田ヒカルの曲を聴くと自分の心の「弱さ」が露呈(ろてい)されていく。

 

 

ええ、音楽って、「逃避(とうひ)させてくれる居場所」じゃなかったっけ・・・。

 

何で音楽の中でこんなに「説教(せっきょう)」を受けないといけないの・・・。

 

 

やれやれ、やれやれ。

 

「射精」しながら僕はそそくさと、曲の世界から脱出していった。

 

こっちの世界の方がだいぶマシだ。

 

光と暗闇が入り混じる、この「灰色の世界」の方が、僕は気楽だ。

 

 

折り紙を折(お)る時間が終わっていく。

 

天使にぶん殴られる時間が終わっていく。

 

 

曲を聴き終わり僕たちはまた、現実の世界に戻っていく。

 

そして僕たちはまた、眠っていくのであった。

 

眠ることで眠らせることで僕たちは、自分の「しっぽ」を切り捨てていくのであった。

 

今という時(とき)から自分を切り離し。

 

また僕たちは、過去なる自分を生み出して。

 

先程までの自分は、また新たな僕たちの敵or味方になっていくのであった。

 

 

ええ、また明日から、戦う相手が増えるじゃんかよお・・・。

 

ちょおーーーー、つらたん(^^♪。

 

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 SAKURAドロップス

宇多田ヒカル

 

眠れない人のための「SAKURAドロップス (宇多田ヒカル)」徹底解析。

~知らないからこそ、知りたいんだろう。分からないからこそ、分かりたいんだろう~

 

音楽解析終了。

 

 

後書き。

平日の帰宅後の流れ

6時帰宅
6時~7時半 グラブル
7時半~8時 ごはん
8時~11時 音楽解析ブログ書き
11~11時半 風呂、歯磨き
11時半~ タブレットYOUTUBEやゲーム配信見ながら就寝。

 

・・・、・・・。

1日って時間が無いっていうより、思っているほど時間が短い。

1か月も1年も同じ。

早いんだな、時って。

 

 

2月11日

読み直して文章修正

いいと思います。