眠れない人のための「命みぢかし恋せよ人類!(犬神サーカス団)」徹底解析。~行進せよ、果ての果てまで~
こんばんは~犬飼です。
今日も今日とて音楽の可能性を浅く考えていきたいと思っています。
10代や20代前半の頃と比べて、僕は音楽を聴かなくなりました。
なんでですかね。
何で音楽と離れていったのだろう。
音楽に夢中だった、音楽に酔って世の中をふらついて歩いていたあの頃。
楽しかった。
楽しかった。
そんな好きだった音楽について、もう一度向き合ってみようと思って、
このサイトで色々な曲を解析しています。
音楽を解析とはどういうことかというと、
音楽を聴いているとき、自分の”心象”がどう移り変わっていくのかを見つめることです。
音楽を聴いている間、僕の心は様々な心象(=心の中のイメージ)が飛び交います。
その心に流れる心象をそのまま流すのではなく、書き起こすことで、
音楽を聴いているときの心の移り変わりを明確にしようとする試みです。
音楽を聴くことによって、僕らの心が、僕らの脳が化学反応を起こす。
その心の成り行きを音楽の再生時間に合わせて書き記していきたいと思います。
今日解析をするのは「命みぢかし恋せよ人類!(犬神サーカス団)」です。
いつものようにYOUTUBEにある動画の再生時間に合わせて、解説していきます。
(今回もYOUTUBE動画は非公式のものです。)
それでは動画を再生しつつ、それにつられて出る心象を書き記していきます。
「再生時間0:09~0:10」
イントロがはじまりました。
騒がしい、ですね。
いきなりうるさい。
曲におけるイントロとは、歌い手(歌手)と聴き手(音楽を聴く側)が出会う場を創り出す場所。
何もないところから、イントロによって物語のスペース(空間)を創り出す。
イントロから曲がはじまり、イントロによって僕ら聴き手の心象の背景を創り出していく。
イントロというのは、聴き手側からすれば、ちょっと”恐い”場所。
何故かというと、はじめて目にする、耳にするものというのは、どうしても警戒してしまうでしょう?
得体の知れないものとの出会い。
それはやはり、こわい。不安。
この曲においてもその感想は同じです。
どの曲に対しても、僕ら聴き手はまず恐怖心を抱いて対峙します。
さて、この曲のイントロですが、いきなりうるさい。
どこどこと騒ぎ立てる音が鳴り響き、聴き手の不安を余計に煽ぎます。
これから聴き手と歌い手が出会っていくのに、どちらかというといきなりマイナスイメージ。
さてこれから、どういう物語が展開していくのでしょうか。
「再生時間0:10~0:12」
連続的な鼓動を加速させるようなバンドの音と、雄たけびが聞こえる。
ここを聴いていて、僕は少し、安心しました。
再生時間0:09~0:10で感じた不安が、
鼓動の加速のような音と低い歌い手の声によって、自分の不安感が潰されていく感覚。
以前解説した鬼束ちひろのように、歌い手が引く(譲歩する)ことで聴き手を安心させていく展開とは違って、この曲では曲側が聴き手側に強く攻めることによって、聴き手の不安感を踏みつぶしていきます。
曲の攻め方というのは曲によってそれぞれ。
北風は風で服を脱がそうとするし、太陽は暑さで服を脱がそうとする。
求める結果は同じでも、攻め方はそれぞれ。
それが音楽。
踏みつぶされるようなイントロの出だしによって、
僕ら聴き手のこの曲における立ち位置が一方的に固められていきます。
確実にイントロは、僕らの足場を固めていく、硬くしていく。
足場がなければ歩を進めない。
足場がなければ僕たちの身体は安定して立てない。
これから曲とはじまる物語において、僕らは最低限のスタートに着きました。
「再生時間0:12~0:16」
足場が固められることで、僕ら聴き手は周りの様子をうかがう余裕が生まれてくる。
曲の中ではまだ分別をわきまえていない僕ら聴き手ですが、僕ら聴き手が成長する、思慮を深めるためにまず必要なことは、”落ち着く”ことです。
be cool , ce cool...
気持ちよさって、大切です。気持ちよさって大事です。
つらいこと、苦しいことを克服するには、自分を気持ちいい場所に置くこと。
自分の環境を気持ちいいと変換すること。
その気持ちよさを求めるときにまず必要なのは、”俯瞰”すること、落ち着くこと。
再生時間0:10以降、足場を固めてきた僕ら聴き手は、再生時間0:12~0:16あたりになって、ようやく周りを伺える余裕が生まれてきます。
周りというのは、この曲が作り出す物語の世界の風景。
この曲の中で僕ら聴き手はこれから冒険していく。
そのためにまず、この世界がどういうところなのか、ざっと周りの風景を見ている段階。
さあ、もう少し周りを見渡して、次に進む心の準備をしておきましょう。
「再生時間0:16~0:22」
再生時間0:09から0:16までの荒い場所のように感じた感覚と違って、
再生時間0:16~0:22あたりは平たんな場所にいるように感じます。
少し高めの傾斜(けいしゃ)を上りきって、より広くなった平たんな場所に辿り着く。
この時間帯に、曲の優しさを感じました。
こわもての人が時に見せる優しさのギャップに惹かれてしまうように、
この曲のイントロ前半で感じた荒々しさとギャップで、再生時間0:16~0:22ではその優しさに感心してしまいます。
より聴き手の心にゆとりを持たせたところで、曲の本編、曲の歌詞がはじまっていきます。
「再生時間0:22~0:25」
ボーカルが歌い出し、歌詞が始まっていきますが、それよりもまず、
バンドの繰り返しの音が気になります。
イントロの前半のような、うるささ、雄々しさが復活し、
若干(じゃっかん)僕は、不安を増しました。
ただその増した不安とは対照的に、ボーカルの声が、僕ら聴き手を一直線に、どこかある方向に導いてくれるように感じます。
雄々しい矢と、清々(すがすが)しい矢が、同時に聴き手の心に幾度も刺さっていく。
2種類の矢が、聴き手に雨のように降り注ぐ。
まるで暴力を振るった後に強く抱きしめてくるDV男のような。
アメとムチ。
月の光と漆黒の闇。
聴き手である僕の心は、少し崩壊していきます。
再生時間0:16~0:22までに創り上げた僕の心のバランスが、砕かれていくような、割られていくような。
人生初めての挫折のような感覚。
今まで積み上げてきたものが、いとも簡単に崩されていく心持ち。
力不足。
赤子から少年になれたと思ったら、急に社会が自分を否定してくるような。
・・・。
おもしろい。
こういうことを感じさせてくれる曲っておもしろい。
・・・。
社会的ですよね。社会性のある曲。
今まで解説してきた曲が自分の心の中の冒険を表現しているのに対して、
この曲を聴くと、心が外と繋がっている。
外の、社会の現実の空気を、すごく感じさせてくれる曲。
やっぱりこういう曲って、大衆的ではないですよね。
どちらかというと邦楽は、胸中(きょうちゅう)を探る歌が多い。
心の中に向かわず、心の外に関心を向けさせているようにこの曲を聴いていると感じて、おもしろいとおもいました。
「再生時間0:25~0:29」
一度挫折した僕ですが、再生時間0:26あたりのボーカルの低い声によって、
(再生時間0:22~0:25の間は声が上に向かっていたのに対して、
0:25以降は下に下がるような声)
再び前を向いていきます。
再生時間0:25以降になって、少しあの雄々しいバンドの音にも徐々に慣れていきます。
聴き手である僕の関心は、バンドの音ではなくボーカルの声に集中していきます。
ボーカルの声に集中してみると、ボーカルの声自身にも、不安の色を感じ取れます。
いつ崩れてもおかしくない吊り橋を渡っているような。
先の見えないゴールを目指しているような。
そういう不安、憂(うれ)いを、ボーカルの声から感じます。
そういうボーカルの声を感じ取れるぐらいには、聴き手は落ち着いている。
落ち着いたり、不安になったり。また不安になったり落ち着いたり。
不安と安心がシーソーゲームしているような、そんな曲だなと思いました。
続けます。
「再生時間0:29~0:32」
再生時間0:25~0:29の時とは違い、ボーカルの声に自信が少し見られます。
自信というより、決心した、といった感じでしょうか。
決意の表れ。
歩みの再開。
例えそれが誤った道だとしても、歩まなければそれが誤りだとは気づけない。
失敗は成功の母。
失敗失敗、失敗して、失敗して、歩を進める。
そうですよね。
そうすることで、泣くぐらいの経験をくぐり抜けていくことで、
僕らは、・・・。
僕らは今、ここにいる。
・・・・。
あーあ、やっぱ社会ってつらたん。
社会の匂いを感じる曲だから、どうしても僕の現実社会での今までの思い出が頭によぎる。
やっぱ社会ってめんどくせー(笑)。
「再生時間0:32~0:35」
再生時間0:32辺りの歌詞「生きてきたけど」を聴くことで、スタンプを押されたような感覚になります。
自分の書類。自分のプロフィール、自分の経歴が書いてある書類に、認印(みとめいん)を押されたようね。
僕以外にも、どんどんと書類にスタンプが押されていく。
社会にある程度認められて、また次の段階の認印のために、歩を進めるような感覚がする。
それの繰り返しや。
社会と僕とは、それの繰り返しや。
「再生時間0:35~終わりまで」
そういえば、この曲のサビってもう来てた?。
なんかもう、再生時間0:35あたりから、曲の終わりをもう感じる。
曲におけるサビは物語の到達点、てっぺん。
なのでサビ以降はそれまでの物語のエピローグなんですが、
もう再生時間0:35あたりで、エピローグ臭が僕は感じ取れました。
早いな。
ここがサビなのかどうか分からないけど、もう下る、物語の幕が下ろされる感覚はします。
早い。
現実社会から離れて、音楽の世界に入ってみたらここでも窓の外には現実世界が見えていて、憂鬱になりながらも、音楽の世界を出て、また現実世界に戻っていく。
どこか通過儀礼のような感覚を、この曲では感じました。
精通したときの心の持ちようを、この曲を聴いて思い出しています。
大人ってなんですか。
子供には何が許されて、何が隠されていたんですか。
そういう戯言(たわごと)が、頭の中に繰り返し自問されながら、
この曲は、終わっていく。この曲は終わっていきました。
ちゃんちゃん。
命みぢかし恋せよ人類!
犬神サーカス団
眠れない人のための「命みぢかし恋せよ人類!(犬神サーカス団)」徹底解析。
~行進せよ、果ての果てまで~
おわり
後書き
くう~疲れましたwこれにて完結です!
実は、ネタレスしたら代行の話を持ちかけられたのが始まりでした
本当は話のネタなかったのですが←
ご厚意を無駄にするわけには行かないので流行りのネタで挑んでみた所存ですw
以下、まどか達のみんなへのメッセジをどぞ
まどか「みんな、見てくれてありがとう
ちょっと腹黒なところも見えちゃったけど・・・気にしないでね!」
さやか「いやーありがと!
私のかわいさは二十分に伝わったかな?」
マミ「見てくれたのは嬉しいけどちょっと恥ずかしいわね・・・」
京子「見てくれありがとな!
正直、作中で言った私の気持ちは本当だよ!」
ほむら「・・・ありがと」ファサ
では、
まどか、さやか、マミ、京子、ほむら、俺「皆さんありがとうございました!」
終
まどか、さやか、マミ、京子、ほむら「って、なんで俺くんが!?
改めまして、ありがとうございました!」
本当の本当に終わり
真面目に後書きすると、今回も疲れた。
やっぱこの音楽解析の作業って、疲れるンゴ。
んご。
はあ(溜息)。ひ~、ふ~。
今日書いてるの日曜日なので、何か余計に疲れた。
終わります。
読んでくれてありがとうございます。
おつかれさまでした<(_ _)>。